水心 魚心

「魚心あれば水心あり」という言葉がある。水中の魚が水に親しむ心があれば、水もそれに応じる心があるという意味だ。池で釣りをすることはあまり無くなったが、池があるとすぐに覗いてしまう。川ならなおさらである。魚が居る訳でも、居たとしても見える訳でもないのだが。
釣り人にとっての「水心」という性(さが)なのだろう。釣りが禁じられた場所も多く、竿を出すことは無いが魚が着いていそうな葦の水際などに目が行ってしまう。
ただし、下手の横好きである私にとってはこの水心に魚心がやすやすとは反応してくれない。これまでは釣果にこだわったり、その報われなさに落胆してきたこともあったが、今年は多少執着が和らいでいる。
今日は3月1日渓流の解禁日だ。昨年以上に良い釣りができそうな気がしている。

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