里海資本論という本を読んだ。以前読んだ里山資本主義という本が面白く、同じ筆者で続編かと思って手に取った。
里山ではクヌギやコナラなどを植え、燃料やしいたけの原木、落ち葉を堆肥にするなど、多岐にわたって高度に利用する。
そうした雑木林には多くの昆虫が生息し、捕食する動物がくる。人が手を加えることで生態系が豊かになっているという。人も雑木林からの恵みを受け取り続けることができるという素晴らしい仕組み。
「里山」という言葉は聞き馴染みがあったが、「里海」という言葉に触れた記憶がない。ここでいう里とは「人が介在する」と解釈して良いと思う。
海は人の介在に関わらず、母なる海というように無条件に与えてくれる存在という認識を持っていた。雑木林のような人の働きかけによる相乗効果のようなものが果たしてあるのだろうかと疑問に感じた。
舞台は瀬戸内海。広島を中心として牡蠣(カキ)の養殖が盛んである。
牡蠣は小さな1個体が1日に約300リットルの海水を取り込み、海水中のプランクトンを濾し取って、それを栄養として生きているという。
牡蠣の養殖によって海水の富栄養化が圧倒的に抑えられているとのことだった。まったく聞いたことが無かった話に大変驚いた。収穫を得ながら海水も浄化している、雑木林と同じ、持続的なプラスの循環がしっかりと機能していた。
同じく瀬戸内海の別の場所ではアマモという海藻が生育している。かっては「邪魔藻」と呼ばれ海一面を覆いつくすほど繁茂していた。
高度経済成長にはアマモが姿を消していった。船の航行はしやすく、魚も増えた。しかし、その後にほとんど魚がいなくなった。 工場排水によって富栄養化が進み、一時的にプランクトンが増え、魚も増えた、しかし、その後、壊滅的に魚がいなくなった。
魚がいなくなった原因はアマモが無くなったことが原因だとの考えに行き着いた。アマモは魚、エビ、タツノオトシゴ等、様々な生き物の隠れ家であり、ゆりかごとなって機能していた。
そのアマモを復活させるべく、漁師が中心となった熱心な取組みで、アマモは回復し、魚も帰ってきた。
こういった現象は瀬戸内海やその他の湾という海としてはやや閉鎖的な環境で顕著に見られる。
閉鎖的な環境だからこそ、破壊も早いが回復も早いということだろう。この本では主にこのような閉鎖的な環境の海を里海として扱ってあった。
牡蠣やアマモの事例が国際的な学会で発表され、現在では「SATOUMI」として世界各地で認知されているとのことだが、当初は
海外での賛同が得られなかったのだという。
その理由の解釈が興味深いものだった。日本では様々な場所に神が存在するという思想、神道の八百万(やおよろず)の神々という考え方があるが、キリスト教などの一神教では神が「創り給うた世界」という思想がベースとなっているため、里海の考え方が受け入れられるまでに時間を要したと書いてあった。

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